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酔古地図

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酔古地図
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地図を見ているといろいろな事がおもいだされます。私の記憶は地図の中に埋め込まれています。地図と共に沖縄の記憶を取り出してこのブログに写してみようと思います。
東京の昔も入れています。
ほんの少しの新しい情報も付け加えています。

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タイトル 日 時
沖縄軌道
沖縄軌道 与那原から泡瀬までの沖縄軌道は最初与那原から小那覇までが人車軌道として1914年11月に開通した。翌年の1915年2月には津覇まで軌道は延ばされ沖縄馬車軌道となった。泡瀬まで開通したのは資料が無いため時期は不明であるが1922年の旧版地図には泡瀬まで記入されている。与那原から泡瀬まで開通し社名は沖縄軌道となった。人車軌道とは人が客車を押して乗客を運んだもの。馬車軌道は鉄道馬車と呼ばれたもの。 下の地図では与那原の停車場の南側に軽便鉄道の与那原線の停車場が記入され、両者の停車場はすぐ近くだった事... ...続きを見る

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2019/05/09 20:48
糸満馬車軌道
糸満馬車軌道 糸満馬車軌道 沖縄の旧版地図の古い物を国土地理院の図歴で探してみたところ大正10年発行の5万分の1の地形図[糸満](大正8年測図)が最も古いようである。この地形図を眺めてみると馬車軌道の文字が記されている。糸満馬車軌道がこれに該当するようである。ルートを辿って行くと垣花から糸満まで現在の国道331号線とほぼ同じ経路である。ただ、基点の垣花が基地内になってしまいその部分だけが現在と異なっている。垣花町はすべて基地内になっているが現在の地図でも町の名は記されており、また丁目の境界線も引かれている。... ...続きを見る

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2019/05/07 17:05
沖縄県営鉄道 糸満線
沖縄県営鉄道 糸満線 沖縄県営鉄道 糸満線地図 茶色のラインが糸満線 ...続きを見る

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2019/05/04 14:02
沖縄県営鉄道 嘉手納線
沖縄県営鉄道 嘉手納線 沖縄県営鉄道 嘉手納線地図 青のラインが嘉手納線 那覇駅 那覇駅は与那原線開業の大正3年(1914)に開設されており、現在はバスターミナルとなっている。 嘉手納線は2番ホームから出発した。 ...続きを見る

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2019/05/01 13:15
沖縄県営鉄道与那原線
沖縄県営鉄道与那原線 沖縄県営鉄道与那原線経路 沖縄県営鉄道与那原線は1914年(大正3)那覇と与那原間9.4qが開通した。そして那覇と港の桟橋を結ぶ海陸連絡線が1917年(大正6)に出来ている。この鉄道は軽便鉄道と呼ばれるレール幅の狭いものであった。 下図は大正12年発行のもので陸地測量部の5万分の1「那覇」「与那原」である。この中の与那原線の部分を赤線で表示している。青丸は停車場の有った位置である。左から順番にいくと、桟橋荷扱所、那覇、真玉橋、国場、一日橋、南風原、大里、与那原の各停車場である。古波蔵停車場... ...続きを見る

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2019/04/30 13:34
沖縄電気軌道(戦前の路面電車)
沖縄電気軌道(戦前の路面電車) 沖縄電気軌道→沖縄電気 大正3年〜昭和8年 戦前の那覇には鉄道があり、崇元寺から首里を経て与那原まで通っていたと聞いた事があり、長らく私はそう信じこんでいた。首里から与那原は山越えのルートであり、少しおかしいと感じていたが特に調べる事も無く時が過ぎ去っていった。最近になり、この時の話を思い出し調べてみるとかなり違っている事が分かった。どうやら軽便鉄道の与那原線と路面電車の沖縄電気軌道をごっちゃにして説明されたようである。 沖縄電気軌道は那覇港の通堂から首里山川までの路面電車であった。営業し... ...続きを見る

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2019/04/29 14:55
沖縄電気軌道の今昔
沖縄電気軌道の今昔 通堂 路面電車の始発駅であった通堂付近の現在である。那覇埠頭船客待合所のあるビルの前にあたる。ここから電車は東に進むのであるが現在の港前の通りとは方向がやや違っており、金城キク商会のある四つ角まで直進していたようである。 ...続きを見る

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2019/04/29 14:48
古地図で巡る消えた競馬場4
古地図で巡る消えた競馬場4 市川競馬場 昭和7年発行 2万5千分の1 船橋 ...続きを見る

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2019/04/25 20:17
古地図で巡る消えた競馬場3
古地図で巡る消えた競馬場3 根岸競馬場 明治41年発行 2万分の1 横浜 ...続きを見る

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2019/04/25 19:48
古地図で巡る消えた競馬場2
古地図で巡る消えた競馬場2 上野不忍池競馬場 参謀本部陸軍部測量局 5千分の1 東京府武蔵国本郷区本郷元富士町近傍 東京府武蔵国下谷区上野公園地及車坂町近傍 ...続きを見る

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2019/04/24 11:51
古地図で巡る消えた競馬場
古地図で巡る消えた競馬場 地図で見る競馬場は白色部分が多くその楕円形の形からすぐ識別することができる。自然の地形を写した地図の中にかなり大きな人工物である競馬場があると、なぜか興味を引かれてしまうものである。現在はなくなってしまった競馬場を古い地図から探して紹介したいと思います。 ...続きを見る

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2019/04/21 16:38
古地図で巡る江戸の馬場3
古地図で巡る江戸の馬場3 十番馬場 江戸切絵図 ...続きを見る

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2019/04/21 12:31
古地図で巡る江戸の馬場2
古地図で巡る江戸の馬場2 堀田原馬場 江戸切絵図 ...続きを見る

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2019/04/21 11:17
古地図で巡る江戸の馬場
古地図で巡る江戸の馬場 江戸の町には市中のあちらこちらに馬場が設けられている。切り絵図をみると緑色で識別されている。今は当時の面影は全くなくビルや住宅になっている。武士の馬術の練習場であった馬場跡を紹介してみます。 ...続きを見る

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2019/04/18 15:30
沖縄の馬場一覧
琉球の馬場一覧 沖縄の馬場 地図 北部 ...続きを見る

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2019/04/17 15:46
沖縄の馬場5
沖縄の馬場5  豊見城の馬場 ...続きを見る

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2019/04/17 12:10
沖縄の馬場4
沖縄の馬場4 琉球競馬  沖縄県内には戦前200近くの馬場があったといわれている。ここでは那覇以外の馬場を紹介しようと思う。琉球競馬は農村の娯楽として戦前まで沖縄各地で行われていた。馬場としての使命を終えてしまったが農村公園、馬場公園、児童公園、公民館の広場、道路、駐車場、学校の校庭などに姿を変えている。競馬開催の時期は地域によって色々とあった様で各行事の余興として行われていた。 沖縄の各行事を列記すると 原山勝負 19世紀に始まった、各間切の重要な農事奨励法。春秋2回、耕地の手入れ、... ...続きを見る

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2019/04/11 17:01
沖縄の馬場3
沖縄の馬場3 平良真地 首里から浦添に向かう宿道を「大名界隈歴史マップ」の看板のある四つ角で北西に方角を変え、やや曲がった道を進むと急に広い東西の直線の道に出会う。テーラ馬場(ウマイー)と呼ばれる平良真地である。ここは王府直轄の馬場で全長2.55町(約278m) 幅10間(約18m)の大きさがある。平良真地は1695年尚貞王によって開場されている。馬場の南側には琉球八社の一つである、末吉宮がある。昭和初期の平良真地では中頭と島尻の代表馬による大競馬が開かれていた。また、10月20日の沖縄神社祭の奉納競馬や全... ...続きを見る

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2019/04/11 14:52
沖縄の馬場2
沖縄の馬場2 古波蔵馬場 馬場は城岳小学校前にあり、通りは「城岳馬場通り」という。18世紀後半作成の「琉球惣絵図」に載っており、王朝時代に開場している。ガジュマル脇にある馬の石像は実物大であると説明があるが信じられない位小さい物である。当時の在来馬は現在の馬に比べると小さかったのは分かるが本当にこの大きさであったのだろうか。これに人が乗れるのか疑ってしまう。 古波蔵馬場 ...続きを見る

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2019/04/10 17:18
沖縄の馬場
沖縄の馬場 琉球競馬 琉球競馬とは近代競馬とは異なり速さだけではなく、馬の姿勢の美しさを競うものであったと言う。小型の沖縄在来馬を用いて直線走路を2頭が競う方式であった。右前脚と右後脚、左前脚と左後脚を同時に動かす「側対歩」で移動しながら速さと美しさを競ったのであった。スケートで例えるとスピードスケートとフィギャーの違いであろうか。そんな琉球競馬が行われた馬場跡が現在はどの様になっているか紹介したい思う。馬場の雰囲気を残しているものは今帰仁村越地の仲原馬場ぐらいで大半は道路や公園になったりして、直線の広場... ...続きを見る

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2019/04/07 17:40

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