テーマ:古地図

辻の通り

昔の辻の通りには辻三大路の後道(クシミチ)、中道(ナカミチ)、端道(ハタミチ)などが有り、この三大路をスージと呼ばれる15の小路が碁盤の目のように結んでいた。北から後道、中道、端道と交差する順番で紹介すると最初は天使館(テーシクヮン)小路、火車(ヒーグルマ)小路、悌梧木(デイゴギー)小路。二番目のスージはグーヤーヌチビ小路、定規…
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沖縄県営鉄道与那原線

沖縄県営鉄道与那原線経路 沖縄県営鉄道与那原線は1914年(大正3)那覇と与那原間9.4㎞が開通した。そして那覇と港の桟橋を結ぶ海陸連絡線が1917年(大正6)に出来ている。この鉄道は軽便鉄道と呼ばれるレール幅の狭いものであった。 下図は大正12年発行のもので陸地測量部の5万分の1「那覇」「与那原」である。この中の与那原線の部分を…
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沖縄電気軌道(戦前の路面電車)

沖縄電気軌道→沖縄電気 大正3年~昭和8年 戦前の那覇には鉄道があり、崇元寺から首里を経て与那原まで通っていたと聞いた事があり、長らく私はそう信じこんでいた。首里から与那原は山越えのルートであり、少しおかしいと感じていたが特に調べる事も無く時が過ぎ去っていった。最近になり、この時の話を思い出し調べてみるとかなり違っている事が分かった。…
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沖縄電気軌道の今昔

通堂 路面電車の始発駅であった通堂付近の現在である。那覇埠頭船客待合所のあるビルの前にあたる。ここから電車は東に進むのであるが現在の港前の通りとは方向がやや違っており、金城キク商会のある四つ角まで直進していたようである。 沖縄電気軌道の起点は県営鉄道那覇駅からの引き込み線に沿って走り通堂橋のたもとが首里行きの乗り場であった。 …
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古地図で巡る消えた競馬場4

市川競馬場 昭和7年発行 2万5千分の1 船橋 市川競馬場は昭和6年から14年まで開催されている。千葉県畜産組合連合会が運営母体で東葛飾郡行徳町に開設した。当時一県三カ所の競馬場までとなっていた為、香取郡の九美上競馬場の権利を買い取り昭和6年に開設している。人気のあった競馬場も昭和14年には軍馬資源保護法が施行され、廃止とな…
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古地図で巡る消えた競馬場3

根岸競馬場 明治41年発行 2万分の1 横浜 根岸競馬場は1866年横浜居留地の欧米人の為に建設された。馬場は中央が窪んだやや起伏のある地形であった。ここは日本で最初の近代競馬場であった。当初は居留地の外国人の運営であったが1880年政府高官も加わった日本レース倶楽部の運営となり、日本人の参加も認められた。1943年春、海軍によ…
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古地図で巡る消えた競馬場2

上野不忍池競馬場 参謀本部陸軍部測量局 5千分の1 東京府武蔵国本郷区本郷元富士町近傍 東京府武蔵国下谷区上野公園地及車坂町近傍 上野不忍池競馬場は明治17年に戸山学校競馬場が移転して来たものである。交通不便な戸山から移り集客アップをねらったが明治25年経営難のため、解散している。 不忍池の周回コース 白い柵が見えてい…
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古地図で巡る消えた競馬場

地図で見る競馬場は白色部分が多くその楕円形の形からすぐ識別することができる。自然の地形を写した地図の中にかなり大きな人工物である競馬場があると、なぜか興味を引かれてしまうものである。現在はなくなってしまった競馬場を古い地図から探して紹介したいと思います。 三田育種場興農競馬場 参謀本部陸軍部測量局 5千分の1 東京府武蔵国芝…
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