テーマ:むかし

辻の通り

昔の辻の通りには辻三大路の後道(クシミチ)、中道(ナカミチ)、端道(ハタミチ)などが有り、この三大路をスージと呼ばれる15の小路が碁盤の目のように結んでいた。北から後道、中道、端道と交差する順番で紹介すると最初は天使館(テーシクヮン)小路、火車(ヒーグルマ)小路、悌梧木(デイゴギー)小路。二番目のスージはグーヤーヌチビ小路、定規…
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沖縄そば むかし地図

沖縄そば 沖縄そばの歴史は支那そばの伝来と共に始まったようである。それが沖縄独自の発展をとげ、今日の沖縄そばになったのである。沖縄そばがまだ支那そばと呼ばれていた頃の店を大正8年の地形図に載せてみた。 大正8年測図 2.5万分の1 地形図から 始めて那覇に出来た店は福永義一氏の「支那そばや」であった。大阪から清国人の…
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むかし那覇2

那覇 薩摩藩在番奉行所 薩摩藩在番奉行所跡の史跡碑 大正9年までの沖縄県庁 解説文より 在番仮屋(ざいばんカイヤ)、大仮屋(ウフカイヤ)ともいう。 1609年の島津侵入の後、薩摩藩が出先機関として1628年に設置した。以来1872年までの250年間、薩摩藩による琉球支配の拠点となった。在番奉行や附役(つけやく)など約…
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むかし那覇

那覇 久米大門 久米村(くにんだ)には14世紀後半から中国・福建から移り住んだ人達が定住していた。その久米村の入り口に建てられたのが久米大門(うふじょう)である。久米大道(現在の久米大通り)の北西側である反対側には西武門(にしんじょう)があった。西武門交番や西武門ビルにその名を残している。大門(うふじょう)の名もビル名として泉崎ロータ…
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沖縄電気軌道(戦前の路面電車)

沖縄電気軌道→沖縄電気 大正3年~昭和8年 戦前の那覇には鉄道があり、崇元寺から首里を経て与那原まで通っていたと聞いた事があり、長らく私はそう信じこんでいた。首里から与那原は山越えのルートであり、少しおかしいと感じていたが特に調べる事も無く時が過ぎ去っていった。最近になり、この時の話を思い出し調べてみるとかなり違っている事が分かった。…
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