沖縄電気軌道(戦前の路面電車)

沖縄電気軌道→沖縄電気 大正3年~昭和8年 戦前の那覇には鉄道があり、崇元寺から首里を経て与那原まで通っていたと聞いた事があり、長らく私はそう信じこんでいた。首里から与那原は山越えのルートであり、少しおかしいと感じていたが特に調べる事も無く時が過ぎ去っていった。最近になり、この時の話を思い出し調べてみるとかなり違っている事が分かった。…
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沖縄電気軌道の今昔

通堂 路面電車の始発駅であった通堂付近の現在である。那覇埠頭船客待合所のあるビルの前にあたる。ここから電車は東に進むのであるが現在の港前の通りとは方向がやや違っており、金城キク商会のある四つ角まで直進していたようである。 沖縄電気軌道の起点は県営鉄道那覇駅からの引き込み線に沿って走り通堂橋のたもとが首里行きの乗り場であった。 …
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古地図で巡る消えた競馬場4

市川競馬場 昭和7年発行 2万5千分の1 船橋 市川競馬場は昭和6年から14年まで開催されている。千葉県畜産組合連合会が運営母体で東葛飾郡行徳町に開設した。当時一県三カ所の競馬場までとなっていた為、香取郡の九美上競馬場の権利を買い取り昭和6年に開設している。人気のあった競馬場も昭和14年には軍馬資源保護法が施行され、廃止とな…
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古地図で巡る消えた競馬場3

根岸競馬場 明治41年発行 2万分の1 横浜 根岸競馬場は1866年横浜居留地の欧米人の為に建設された。馬場は中央が窪んだやや起伏のある地形であった。ここは日本で最初の近代競馬場であった。当初は居留地の外国人の運営であったが1880年政府高官も加わった日本レース倶楽部の運営となり、日本人の参加も認められた。1943年春、海軍によ…
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古地図で巡る消えた競馬場2

上野不忍池競馬場 参謀本部陸軍部測量局 5千分の1 東京府武蔵国本郷区本郷元富士町近傍 東京府武蔵国下谷区上野公園地及車坂町近傍 上野不忍池競馬場は明治17年に戸山学校競馬場が移転して来たものである。交通不便な戸山から移り集客アップをねらったが明治25年経営難のため、解散している。 不忍池の周回コース 白い柵が見えてい…
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古地図で巡る消えた競馬場

地図で見る競馬場は白色部分が多くその楕円形の形からすぐ識別することができる。自然の地形を写した地図の中にかなり大きな人工物である競馬場があると、なぜか興味を引かれてしまうものである。現在はなくなってしまった競馬場を古い地図から探して紹介したいと思います。 三田育種場興農競馬場 参謀本部陸軍部測量局 5千分の1 東京府武蔵国芝…
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古地図で巡る江戸の馬場3

十番馬場 江戸切絵図 享保14年(1729 )芝にあった馬場が一の橋に移転し十番馬場ができた。仙台駒の市も開かれ馬方の宿や茶屋ができ、また麻布山善福寺の門前町として発展し大いにこの付近は賑わった。明治になると十番馬場は廃止された。 十番馬場跡付近 十番馬場のあった場所は現在東麻布となっており、麻布十番は一の橋…
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古地図で巡る江戸の馬場2

堀田原馬場 江戸切絵図 江戸の頃、勧進大相撲が行われた蔵前八幡の西側の浅草堀田原にこの馬場はあった。切り絵図では八幡宮となっている、現在の蔵前神社の裏手に当たる場所である。北側には切り絵図にある榧寺がある。現在の住所で言うと蔵前3-15及び19、寿3-5付近が相当すると思う。 堀田原馬場跡付近 蔵前神…
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古地図で巡る江戸の馬場

江戸の町には市中のあちらこちらに馬場が設けられている。切り絵図をみると緑色で識別されている。今は当時の面影は全くなくビルや住宅になっている。武士の馬術の練習場であった馬場跡を紹介してみます。 御用明地騎射馬場 三番町馬場 江戸切絵図 江戸時代には火除地や御用明地騎射馬場として使用されていた。また三番町にあったことから、…
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沖縄の馬場一覧

琉球の馬場一覧 沖縄の馬場 地図 北部 板敷道    大宜味村 兼久仲道馬場 大宜味村塩屋 大宜味電話交換所南側 仲原馬場   今帰仁 今帰仁小学校前 親泊馬場   今帰仁 今泊 天底馬場   今帰仁 天底 天底小西隣 天底公民館裏 馬場(有馬原) 本部町具志堅 座覇商店の東側 松田馬場…
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沖縄の馬場5

 豊見城の馬場 翁長馬場 沖縄県豊見城市翁長にある翁長馬場跡は現在「翁長共同利用施設」となっている。馬場跡の広場は恐らく当時そのままと思われる。翁長は大渡海岸に上陸したジョン万次郎 (万次郎へのみち へ)が半年の間一時留め置かれた場所である。これを記念してここには記念碑が建てられている。残念ながら馬場跡の碑は無い。 翁…
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沖縄の馬場4

琉球競馬  沖縄県内には戦前200近くの馬場があったといわれている。ここでは那覇以外の馬場を紹介しようと思う。琉球競馬は農村の娯楽として戦前まで沖縄各地で行われていた。馬場としての使命を終えてしまったが農村公園、馬場公園、児童公園、公民館の広場、道路、駐車場、学校の校庭などに姿を変えている。競馬開催の時期は地域によって色々とあった様で…
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沖縄の馬場3

平良真地 首里から浦添に向かう宿道を「大名界隈歴史マップ」の看板のある四つ角で北西に方角を変え、やや曲がった道を進むと急に広い東西の直線の道に出会う。テーラ馬場(ウマイー)と呼ばれる平良真地である。ここは王府直轄の馬場で全長2.55町(約278m) 幅10間(約18m)の大きさがある。平良真地は1695年尚貞王によって開場されている。…
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沖縄の馬場2

古波蔵馬場 馬場は城岳小学校前にあり、通りは「城岳馬場通り」という。18世紀後半作成の「琉球惣絵図」に載っており、王朝時代に開場している。ガジュマル脇にある馬の石像は実物大であると説明があるが信じられない位小さい物である。当時の在来馬は現在の馬に比べると小さかったのは分かるが本当にこの大きさであったのだろうか。これに人が乗れるのか疑っ…
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沖縄の馬場

琉球競馬 琉球競馬とは近代競馬とは異なり速さだけではなく、馬の姿勢の美しさを競うものであったと言う。小型の沖縄在来馬を用いて直線走路を2頭が競う方式であった。右前脚と右後脚、左前脚と左後脚を同時に動かす「側対歩」で移動しながら速さと美しさを競ったのであった。スケートで例えるとスピードスケートとフィギャーの違いであろうか。そんな琉球競馬…
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