古地図で巡る消えた競馬場3

根岸競馬場
明治41年発行 2万分の1 横浜
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根岸競馬場は1866年横浜居留地の欧米人の為に建設された。馬場は中央が窪んだやや起伏のある地形であった。ここは日本で最初の近代競馬場であった。当初は居留地の外国人の運営であったが1880年政府高官も加わった日本レース倶楽部の運営となり、日本人の参加も認められた。1943年春、海軍によって閉鎖され軍事施設として接収された。戦後も米軍に接収されたが1969年馬場部分が返還され横浜市の森林公園となった。

1930年に完成した鉄筋コンクリート製のスタンド。
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根岸競馬場跡
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大船競馬場
昭和8年発行 2万5千分の1 戸塚
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昭和初期にあったと言うだけで詳しい情報は不明である。閉鎖後の1936年、松竹の撮影所が蒲田から移転し松竹大船撮影所となった。1995年松竹大船撮影所の一部にテーマパーク「鎌倉シネマワールド」として開設されたが1998年には閉鎖されている。撮影所は2000年に閉鎖され鎌倉女子大学大船キャンパスとなっている。撮影所だった敷地の一角には小公園があり、渥美次郎や美空ひばりの看板が立てられ撮影所が有った事を思い起こさせてくれる。

鎌倉女子大学
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寅さんの看板
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新・戸塚競馬場
昭和22年発行 2万5千分の1 戸塚
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戸塚競馬場は1942(昭17)年から1950(昭25)年まで存続していた。跡地は現在汲沢団地となっている。団地の敷地の境界線は当時の馬場の曲線と重なるようである。

新・戸塚競馬場跡
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戸塚競馬場はもう一カ所あり、戸塚駅の東側の日立製作所の所にあった競馬場で1933(昭8)年から1942(昭17)年まで存続していた。西に「駒立橋」がありその頃の名残であろうか。

駒立橋
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八王子競馬場
昭和30年発行 2万5千分の1 八王子
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八王子競馬場は昭和3年から24年まで途中鍛錬馬場、都営競馬、牧場と騎手学校と名を変えながらも続いた。跡地は現在、都立科学技術大学、日野4中、八王子市高倉小、八王子東校などになっている。走路内の八王子市と日野市の境界線が現在の高倉小の南側の道となっている。北側の競馬場走路は高倉小の北側を通っていたと思われる。上の写真は東側から見たものである。
地図上で現在残っているものは甲州街道と八高線あとは送電線のルートが当時のままである。

八王子競馬場跡
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送電線
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都立科学技術大学
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羽田競馬場
昭和7年発行 2万5千分の1 穴守
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現在の羽田空港内にあった羽田競馬場は昭和2年から12年まで存続した。東京府馬匹畜産組合連合会によって運営され、昭和13年、翌年の軍馬資源保護法の施行にあわせ廃場となった。昭和12年秋季まで地方競馬として全国最高の売上を誇った事もあった。地図上の穴守稲荷神社付近は現在空港敷地内になっており、穴守駅前にあった大鳥居だけが往時を忍ぶものとして空港南西の敷地外に移設され残っている。当時の羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町は昭和20年空港拡張のため、米軍により強制撤去になっている。

羽田空港
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大鳥居
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