古地図で巡る江戸の馬場3

十番馬場
江戸切絵図
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享保14年(1729 )芝にあった馬場が一の橋に移転し十番馬場ができた。仙台駒の市も開かれ馬方の宿や茶屋ができ、また麻布山善福寺の門前町として発展し大いにこの付近は賑わった。明治になると十番馬場は廃止された。

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十番馬場跡付近
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十番馬場のあった場所は現在東麻布となっており、麻布十番は一の橋西側の地名となっている。切絵図では馬場東側の道に「此辺十番ト云」と表記されている。

采女ヶ原馬場
江戸切絵図
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采女ヶ原馬場は伊予今治藩主松平采女正定基の屋敷があったことが由来である。屋敷は享保九年(1724)の大火で麹町に移りその跡地が馬場、火除地となった。馬場が出来てここは盛り場の様になったが夜は寂しい場所だったという。明治から昭和の初めまではここは釆女町であった。

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采女ヶ原馬場跡付近
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采女橋
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東側の築地川に架かる橋は采女橋という。今は川は無く首都高速道路となっている。

初音馬場 馬喰町馬場
江戸切絵図
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初音馬場は明治始めまでは残っていたが現在は問屋街の一角となりここに馬場があった事を思わすものは何もない。ここは初音馬場とか馬喰町馬場と呼ばれ馬喰町三丁目にあった。関ヶ原の戦いの時、ここで馬揃えをして戦勝を祈ったという。江戸最古の馬場である。初音馬場の名の由来は近くに初音稲荷があった事からという。

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初音馬場跡付近
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浅草橋寄りには郡代屋敷があり、関東一円や東海方面の天領のもめ事をここで取り扱った。浅草橋には浅草御門があり、奥州街道や日光道中方面の守りを固めていた。ここは江戸城三十六見附の一つである浅草見附であった。

小日向馬場
江戸切絵図
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小日向馬場は新宿区西五軒町にあった馬場で南側には牛込総鎮守の赤城神社がある。この辺りの道は切り絵図とあまり変わりなく該当の場所は直ぐに見つけることができる。西五軒町の東側の細長い区画がそれに相当する。

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小日向馬場跡付近
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赤城神社
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小石川馬場
江戸切絵図
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小石川馬場は白山通り沿いにあった馬場で 享保江戸大火(290年前) 1717年の「小石川馬場の火事」で火元にもなった場所である。

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右側が白山1-5と左側が1-8
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馬場東側の周りの当時から残っている道から判断すると白山1-7と1-8が相当すると思われるが西側から見ると白山1-5と1-6の付近のようにも思われる。しかし全体の形から見ると白山1-7と1-8が良いのではと思う。

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